昭和52年09月01日 朝の御理解



 御理解 第60節
 「おかげは受け徳、受け勝ち。」

 「おかげは受け勝ち」という中に、「受け徳」と仰っとる。だからおかげだけが受けられたんでは駄目。矢張り限りなく下さろうとしておるお徳も、愈々育てていく様なおかげでなからなければならないと言う事です。もう椛目の草創時代、北野から沢山お参りがあっとった時分でしたけれども、その秋山さんとか中村さんなんかはその先鋒でした。それこそ「大城大橋焼けよとままよ。椛目通いは船でする。」と言った様な勢いで、勿論その頃は自動車も御座いませんから、皆歩いてからでした。
 もう本当に当時の椛目通いが、もうそれこそかかってお参りをしとられると言う様な、朝参って来る、御理解を頂く。もう一日中御理解があっておった。もう晩遅くなるともう今夜泊めて頂こうと言うて、夜も夜中もない様にして、皆さん参って見えておった。その中で中村さんなんかは、やっぱり垢抜けした信心が出来ておった。あの時分に段々おかげを頂いて、あのおばあちゃん中々お話が出来られ、お話が中々上手でしたが。
 ある会合信心実修、総会か何かじゃなかったでしょうか。その体験発表された中に、開口一番こう言う事を言われた。「お参りのし儲けお供えのし儲け」と言う事言っとられますですね。皆さんも覚えておられるでしょう。もう拍手喝采でしたね。お参りのし儲け、お供えは尚更の事し儲けだとこう言うのです。私が中村さんと北野の教会で初めて会った時なんかは、もう様々な難儀をいっぱい持っておられた。
 御主人は仏壇造りさんでしたけれども、大変酒が好きで、もうまあ何と言うでしょうかね、まあ中村さんの荷になると言った様な御主人でした。家も借家で、自分は風呂敷包みにした履物を持って、村から村に行商して回ると言った様な時代でした。ですからもうお願いをせなければならない事はいっぱいでした。けれども段々私自身が、まあその時分は大坪さんの時代ですから、「大坪さん、こんな状態ですが本当におかげ頂ける道はないでしょうか。」と「サア、私自身も頂いていないから言われんけれども。
 どんな場合であっても中村さん、押しやり蹴やりのおかげなら私自身が頂いておるから、もう行き詰まるということはもう絶対無いですよ」と。もう行き当たりばったりであっても、それこそ押しやり蹴やりでおかげを頂いて行く内なら、私が「いやそれが頂けりゃ欲な事は言いません」という様な時代もう私の話を熱心に聞いておった時分です。信心さして頂いてね、行き詰まると言う事はありませんです。
 矢張りそれには度胸がいります。昨日の御理解じゃなかばってん、あれに頼みこの人に願いといった様な事ではね。例えば行き当たりばったりの道でも開けませんね。押しやり蹴やりの道も開けません。その頃から御本部へ月参りが、初めは二十名、三十名やっぱり四、五十名位の者が、毎月お月参りをする。月の十三日が小倉の教会にお参りをして、その足で御本部へ参らせて貰うというのが、毎月の当時の椛目の信心でしたが。もうその時分に、例えば、なら親先生が御本部参拝される。
 どこどこへ行かれるという時は、どんな事があっても絶対お供させて頂くという行き方でしたね。あの時分に、今から考えてみると大変な、矢張りある意味で信心度胸を持った人だったなと思うのですが、毎日五百円ずつのお日届けでした。
 約三十年前のですよ。だから今なら五千円、それこそ下駄の行商をしながらですね。ところがお商売の上に益々おかげを頂いて行かれた。それが何年かと自分が決めておられて、ある御本部参拝の月参りをさせて頂いた時に、奥城で中村「キクヨ」と片仮名です。それを漢字の「喜久代」と頂いて「今日奥城でこんな事を頂いたよ中村さん。愈々これは一つの御神格じゃね」。
 昔は何々明神とかいう風に頂いとったけども、今頃はそげんとは付けてはならん事になって、まあ一つの御神格を頂いて、言うなら片仮名の「キクヨ」から漢字の「喜久代」の喜びを、愈々持ち続けさして貰うて、喜びを欠かさん様にすりゃ、おかげ頂けるという御理解。所がこの「喜久代」という喜びを取ったら、喜びの字を取ったら後はクヨクヨになるから用心せにゃなという御理解でした。「ああ先生もう恐れ入りました。今日が満願の日でした。どんな事があっても五百円ずつお供えをする。
 どんな事があっても御本部参拝を毎月させて貰う」。そういうそれが満願の日だったらしいのです。時にそういうお知らせを頂いて、おかげを頂いた。それから家を買わせて貰い、お店も小さいけれどもさせて貰い、本当におかげを頂いて、娘達も一人一人おかげを頂いて、本当に勿体ない養子を貰うたり、または嫁入らせて頂いて、段々おかげを頂いている内に、裏にああした立派な家では御座いませんけれども。
 二階にちょうど、合楽の椛目時代にじっちゃま達が居りました六畳の部屋と同じ格好で、あそこを建てた大工が建てました。二階は小さい部屋がありましたのに、造り継いで言うなら神様のお部屋というのが新たに出来ました。それが今のお神様を奉祭してあるお部屋です。本当にその間に主人が亡くなられましたが、その時なんかも、もう医者が難しいという様な状態の時に。
 「御本部参拝をして帰って来るまでは絶対間違いない」と言うて、御本部参拝するぐらいでしたから、度胸がなからなければ出来る事じゃありません。近所の者は笑いました。もう中村さんばっかりは了見には及ばん。所がそれからおかげを頂いてから、段々またそれからおかげを頂きました。と言った様なもうこちらへ参りましてからでしたけれども、もうそれは本当にそういう潔い信心をさして貰いながら、おかげの面においては確かにその時分におかげを頂いて参りました。
 「もう本当にこの位のおかげならば、昔なら本気で修行さして貰うて参ったら、すぐおかげ頂きよったばってん」と、是は中村さんをしてそう言うふうに言わしめておるのが現在なんです。だから「おかげは受け勝ち」であったけれども「受け徳」にはなってなかった事が分ります。何故かというとその秋山さんが何時も励ましに行くと「もうちょいと和恵さん聞いてくれんの」と言うてからもう不平ばっかり不足ばっかり、黙って秋山さんが聞いとる。「小母さんあんながそげん悔やみよると本なこて。
 くよくよになってしまうばの」。「ああほんにそうじゃったの」、言うごたる風ですけども、とにかく悔やみ手です悔やみ上手です。だから是ではお徳には継ながりませんですね。皆さんも本当にこの悔やむ位おかげを向こうに押しやる事はないですよ。もうお世辞にでん兎に角どこどこのばばさんじゃなかばってん「もうそげなこつ言わずに、悔やませるだけは悔やませてくれっさい」ちゅうち悔やまれる人があるです。
 それじゃ自分も助からんです。いうなら喜びを取っておるから、失くしておるからくよくよになるのです。だから中村さんの場合は、おかげを受け勝ちと言う、なら「本当に親先生、残念な事、若い時のごたる信心が出来ませんけん、おかげを頂ききらん」と。そげん年寄りが何時までも、なら朝参り夜参り出来るという筈がなか。段々、年も取るに従って体も衰えて来る。
 その頃には自分の心の有難い、勿体ないがそれこそお徳の中に、言うなら座らせて頂く様な有難いおかげの世界がある筈なんだ。そこん所を大事にして行かなきゃならないね。おかげは受け勝ちだけではなくて、受け徳と言う所がいる。先日からこの御理解を頂いた時に頂きます様に、「魚釣る人、見ておる人」であってね、魚を釣りたいと思うなら身ごしらえがいる。そして矢張り釣らなければ、魚で何尾釣ったから、もう大概で止めとかんかとは神様は仰らん。自然は限りなく与えて下さる。
 そこに釣り三昧の境地も開けてくる。釣りに対するところの、言うならば体験というかね、言うなら釣り上手な釣りが出来る様に、言うならこれは限りのない事。だからそういう釣り三昧の境地というか、信心三昧の境地。昨日は月末御礼信話会ですから、皆さんのお話を聞かせて貰いました中に、熊谷さんが話しておられますが、「現在の私は何もする事がない、仕事がない」。お金は勿論沢山持っておられますから、それはもう銀行に入れておられましょう。
 けども銀行の金は手を付ける事はいらん。息子が送ってくれる。近所にお医者さんの奥さんになっとられる娘さんがおられます。毎月小遣いを三万円ずつ持って見える。外の子供達もしてくれる。だから何にもする事はない。もう家の修繕から、この頃から、もう部屋部屋に絨毯が敷きつめてありますが、絨毯やらもう娘が持って来て、この頃は夏の敷物と全部代えて貰ったと。私がおらん内に代えてくれとったと言う様なふうに、何にもいうことがない程しの、おかげを受けておると言う事もです。
 そこまでの働きが、熊谷さんの信心の内容にあったと言う事」。「もう家のばばさんな構いなさんな」と、例えば子供達やら娘達やらが言うたっちゃ仕様のない所をね。そりゃ信心のお徳だと思うね。それで外に仕事が御座いませんから、結局大祓信行が五巻ずつ、今五回上げとります。それが私の仕事です。いわゆる信心三昧とはその事です。不平不足の出ろう筈がないね。五巻ずつ毎日五回上げる。だからこれが私の仕事。もう年を取ったら、これ位のおかげを頂きたいですね。
 もういうなら信心掛りです。娘、子供達の上に段々おかげを頂かれて、ならあちらの周辺に、言うならば赤の他人の人達が、熊谷さんの信心を頂きに来るようになった。座っとってお導きが出来られる様になった。もうやんがて八十というお年でです。あれだけの信心、言うならば信心が出来る。それは信心そのものがです、不平どん不足どんいう段じゃない。言うなら大祓信行の、言うなら無条件の信心ですよねこれは。大祓信行に条件があっちゃならないと言われとるね。
 言うならば信心が仕事であり、五回の大祓いを日々五回上げさして貰うと。だからそれだけが私の仕事だとこう言われる。というてならお参りというたら皆さんも御承知の通りに毎日日参、会合があればどこの会合、最近なんかは直方あたりまでも行かれる。毎月会合のあるたんびに熊谷さんが出て来なさらん事はない。そりゃそうですわね外に仕事がない掛っとられるから。その掛っておられるという程しそれがお徳なんです。
 昨日椛目の妹の所に、末永先生が初めて妹当てに手紙を出しておる。もう本当にまあ素晴らしいおかげを頂きよります。夫婦が二人で書いて出しとります。それに、こういう様な事が書いておられます。「丁度小母ちゃんから頂いた手紙を夫婦で読ませて頂いておる時、何かの調子に調子というが、何かこう手文庫の様なものでしょうか、からちょうど正月の月の合楽だよりが出て参りました。
 それにはちょうどスマ代小母ちゃんが、親先生の御修行時代の事を思い出の記に書いておられるところを読んだ後だか、読んだかでした。そこへ小母ちゃんからの手紙が参りまして、もう感激一杯、もう本当に、親先生の御修行時代の事を思うたら、第一苦労を苦労と感じない」と言っております。「親先生のあの時分の事思うたら、夫婦で苦労を苦労と感じない。不自由がなくなります」と書いとりますね。
 難儀を難儀と感じない。確かにあの時分の事を。例えば久保山先生が「大坪さん、こういう難儀の中に本当に有難かっですか」と言われる位に有難かった。知らぬ者が私が道を通りよると、それこそすただれた格好しとるけれども、あの人は違うばい、あの人は何か違うばい。何時もここの前を通んなさるあの人は何かまあ、言うならば後光が差しよる様な感じがする人だと言うておる事を、妹があの記事に書いとります。「実はあれは私の兄です。ああそげな事の」というた様な話が出ておる記事でした。
 本当に私がその時分に、これは家族挙げてでしたけれども、難儀を難儀と感じていなかった。不平不足なんか勿論なかった。だからそれが記事になって、今日なら「それを読んだだけで親先生の事思うたら、不平不足どんが出る事じゃない。言わば難儀はそのままなくなるし不平不足がなくなります」と書いとります。そして次に「これが合楽理念以前のものだ」と書いております。私はここを読ませて頂く時にね、本気で自分がそういうおかげを頂いておらなければ、これは何時の度々の手紙にですね。
 素晴らしい表現で、いろいろお手紙を綴っとりますが、これなんかもやっぱり自分自身が、今いう、「親先生のこと思うたら不足がなくなるね。不平不足なんか出ようがないね。ねえ公子、親先生のこと思うたら、本当にそれどころじゃありません」と。最近これは公子さんの方の手紙です。長年修行させて頂いて、親先生の信心を目の当たり見たり聞いたりしておりながら、ならこちらへ来てもそれを只合楽理念を知っておるというだけで、役に立たなかった。
 一月間というものは、主人に「もうあなたと別れてんよかけん帰らせてくれ」と何遍言うたか知れなかった。泣き続けた事もあった。けれども最近初めて、合楽理念の言うならば実行者としておかげを頂いて、言うならば、どういう道でもこの行き方で行ったら、開いて行けれるという様な自信が付いたという意味の事を書いとります。おかげを頂いて、もう何からかにまで、もう不平不足いう段じゃないおかげを頂いて、けれどもなら実際のこというたら、もうそりゃ大変不自由な事であろうと思いますけども。
「子供さんが生まれるまで」と言って、御信者さんが信太郎をもう随分長い事になりますが、預かって行って下さっておる。もう帰って来て一時ばかり居ったら、もう「帰る帰る」と言うて帰ってしまう。そしてこの頃なんか、もう何かブラジル語でベラベラしゃべるげなもん。それで何ば言いよるとか分からんもんじゃけん、通訳連れて来てから「何ち言いよるか聞いて下さい」と言うた。
 これはお父さんとお母さんの悪口ば言いよんなさる。もうブラジル語で悪口を言うごとなったという位に、お育てを頂いておると言うて書いとります。本当におかげを頂いて、難しい中に、難しいけれども、やはり道が段々開けて行っておる。合楽理念以前のものだというところを、皆さん分かって頂きたいです。合楽理念以前のもの。なら私の過去の信心を皆さんが、なら「和賀心時代を創る」とか、私が何時もお話をする。一昨日でしたかね、私の少年時代の話がちょっと出ておりました。
 あれを福岡から参って来た信者さんが聞いて、ちょうど川上さんのお導きで参って見えて、「こういう話が何時もあるとですか」「毎日、この話が何十年続いとるとですよ」。もう帰りにたまがってしもうてから、「もうこれじゃあなた方が参らにゃおられんと言うのが分かる」と言うて、まあ言われたと言う事を。 昨日川上さんが言っとられましたがね。だからお話をそういう風に頂くとか、有難く受けるというだけではなくて、それが必ず合楽理念の以前のものになる筈ですその行が。
 不平を言いよった者が不平を言わんごとなる。あん奴が悪かと思いよったのが、自分が悪かことが分かって来た。例えそこに難儀があっても、難儀を難儀と思わん。親先生の修行時代の事を思うたらということになって来る。苦労も不自由もなくなりますと云う所から本当の、言うならば苦労も不自由もなくなって来る。言うならお徳が受けられる、言うなら釣り三昧であり、言うなら信心三昧の境地が段々開けて来る訳ですね。そこからのおかげ、それが私はお徳だと。
 熊谷さんと中村さんに対しては失礼ですけども、「もうほんにまちっと年が若かったら、それこそ日参り夜参りしてこげな時には、こげん信心すりゃ助かる事は分かっとるばってん、それが出来んとがきつい」と。だからそういう形の上でする修行ではなくて、本当に教えが身に付いて喜久代さんの「喜」の字じゃないけれどもね、喜び一杯で喜久代が続いておれば有難いのですけれども。なら現在おかげを受けておられないかというと、おかげは勿体ない様なおかげは受け取られますよ。
 けれども時々「喜」の字を失くしてしまうからくよくよになってしまう。だから秋山さんの顔見りゃ、「ちょっと秋山さん聞いてくれんの」と言うて、悔やみ話をせにゃん事になって来る。「小母さん、そこそればいっちょ、あんたが言わんで済むとよかばってん」。とこう「ほんにそうじゃったの」と、又心を取り直し取り直しですけれども、ういう信心が本当にです。不平どん不足どん言うものは、なくなってしまうだけの信心を身に付けておかねばいけないと言う事。
 そこに初めて「受け徳」という、熊谷さんが今おかげを受けておられる、昨日の発表の様なおかげが頂き続けて行く事が出来る。今日は「おかげは受け勝ちと受け徳」と言う事を、二つに分けて聞いて頂きましたね。愈々記念祭もあともう一と月、もう本当にアッという間に、月日の流れるのが早い。記念祭記念祭と言いよったら、もうあと一と月ね。記念祭に対する所の信心が、どれだけ出来ておるだろうか。
 いやせめて今から、正確にいうて四十何日ありますけれどもの間を本気で記念祭の為に、こういう修行させて貰おう。というのが参ったり拝んだりという、なら中村さんが言っておられるような修行ではなくてです。本気で身を削り、心を削りさせて頂ける様な信心、それこそ不平不足だん出るだんじゃない、苦労を苦労と感じんと言った様な、何か一つ手立てをです、自分で工夫さして貰うて、記念祭を頂く為の心準備的修行が、もう今日なら今日、一日から本気でなされなければならない時ではないか。
 記念祭を頂き終わって「ああ、あげんもしときゃよかった」といった様な、悔いの残らん様な信心をさして頂きたいそれこそ中村さんじゃないけれども、お参りのしもうけ、言うならばお供えのしもうけと言った様な事でも、一つ本気で考えて見られたらどうでしょうか。そして「おかげは受け勝ち」だなあと、言う事も分かると同時に、愈々心行に徹底さして貰うてです、「おかげは受け徳」のおかげを頂きたいですね。
   どうぞ。